山下晋弥って?【自己紹介】

山下晋弥
山下晋弥です

僕の人生はすべて出会いが動かしてくれている。
鍼灸師になり、幼馴染のところで働くことになる。

 

これも成り行き任せ。自分の意志はあったかな。
まあ助けたいと思ったし、助けられたいと思った。

開業前

 

治療院で働くことに意味があるのかないのかわからなくなっていた。

 

というのも、マッサージをして喜んでもらうのはいいことだけど、
自分がやりたいことは「治療」であり、治していくことだったから。
院長との間柄も冷え切っていて、しゃべることもなくなっていた。

 

ある日、患者さんとのことで院長と口論になった。
患者さんとゴルフに行く約束があったにもかかわらず、僕は鍼灸の勉強会に申し込んでいた
当たった。

 

いきたいけど、どうしようか、、、でも行きたい。
院長にメールで伝えると「いいかげんにしろや」と返答がきた。
(今になって思うとたしかにめちゃくちゃわがままだ。でも当時は、俺鍼灸師で
このままずっと雇われているのはどうもやばいんじゃないか。いずれ終わりが来るだろうし、
自分の力で食えるよう、技術力をあげておかないといかんのじゃないかなって思っていた)
そして、、僕の中で何かが弾けた瞬間でもあった。

 

「あ、もう自分で開業しよう」

 

心のなかでずっと思っていたことが爆発してきた。
おっさんになってもこのまま雇われたままで終わるのかと思っていた。
それは嫌だし無理だなってのも思っていなかった。
だから開業していこうと。

 

ただ、やはり問題なのは、
僕は鍼灸師で自費で治療院をしないといけないということだった。

 

あまり整骨院業界のことを知らない人には、
説明を入れておくと、整骨院は保険が使えるので500円で施術が受けれる。
整骨院を開院できるのは柔道整復師の免許が必要。
整骨院なら単価も安くて人も来てもらいやすい。

 

でも、僕はその免許を持っていないので、
自費で開業していかないといけなかった。このハードルは思っている以上に大きく
できないだろうとみんながいうようなものだった。

 

僕は実は、
この前の時点で、腕だけではやっていけいないことも気がついてた。と
いうか、同じ師匠に弟子入りしていた兄弟子がそうだから。

 

自分よりも絶対に治せる腕があるし、知識もある。
でも、患者さんが溢れかえっていない。もしかして腕だけでは
だめなのか、治せるだけではだめなのかって思っていた。
というか兄弟子からも

 

「経営と心理学やっとけよ!」とアドバイスをもらった

 

この時ぼくは、腕だけでは食ってはいけないんだって
はっきりわかったときだった。

 

でもどうしたらいいんかなって思って、うおさおしていた
そんなときある出会いが人生を動かしてくれた。

 

「自費開業するんやって?!もしかしたら力になれるかもしれんから話しない?」と。

 

この兄弟子との出会いが運命を大きく変える。

運命の出会い1 マーケティングの基礎を教えてくれた人

 

声をかけてくれたのは、
同じ技術の師匠の違う兄弟子だった。

 

この兄弟子は、
3年前ぐらいに保険でやっていたけど、3ヶ月前に自費でやりだして
うまくいきだしているというこだった。

 

どうやったのかと聞いてたら、
マーケティングを駆使して、集客をしているということだった。
もう興味津々だった。

 

話の最後に、兄弟子が今自費で経営を教えてくれる塾に通っていると教えてくれた。
そして、その塾の講師の人が行う3ヶ月無料受講できるグループコンサルがあることを
教えてくれて、ちょうど募集中だからどうって紹介してくれた。

 

すこし戸惑った。マーケティング!?それって、、、

 

実は僕、マーケティングって正直いいイメージをもっていなかった。
というのも、院長がマーケティングというようなものを嫌いでそれは
詐欺師がするものだからなって話をよく聞かされていたから。

 

だから、正直いえば、え!?それ大丈夫なんって気持ちもあった。
でも、そんなこと言っててもしょうがないし、とりあえず兄弟子が
自分も成功してきているって言ってるから、怪しいものではないと思った。
そして、、、やります!となり、翌月から受講することになった。

 

グルコンでは、
関東と関西でヒットしてるチラシがあるからまずそれを真似して作り
そのチラシを撒く。すると集客はできるので
治療を販売するということだった。

 

僕はまだ務めているので、
往診からはじめることにした。とにかくやりまくった。動きまくった。つとめながらチラシを撒いて撒いて撒いて。さすがに往診だからあまりならないと思っていた。でも
なりだした。

 

結局3ヶ月後は売上16万を作れて終了した。

 

塾に行こうか、、50万も大金払えるのかな
でもここでやめると終るな。嫁を説得して、講師の先生には特別に頼み込んで12分割払にしてもらって6ヶ月間、マーケティングを身に着け実践するための塾に入った。

 

このとき、お金がなかったから自宅の一室で開業することもきめて進めていた。
内装やらなんやらで20万かかった。逆に言えば20万で開業したのだった。

自分の店。自分だけの鍼灸整体院がオープンをむかえた。

 

店もだしたし、もっとざくざくざくざく新患くるだろうなって
ワクワクしていたけど、そう甘くなかった

 

【マーケティング力の覚醒期】患者さんはこない日々から逆襲 


僕は自分でこの時期がマーケティング感覚の覚醒期だと呼んでいる。
この時期がなかったら、今の僕はいないと。ただ、、、めちゃくちゃしんどかったし、
もうやばいと思った。というの、、続きを読んで↓

 

このとき、塾に入ってる先輩たちはチラシを撒いて20人、30人と集客に成功していた。
だから、僕も院をだしたら集客なんて超簡単だと思って
さっそくチラシを作って撒きまくった。

 

妄想では、
自分の院にもザクザク患者さんが集まって、めちゃくちゃ回数券が売れて
初月で50万ぐらいは売上あがるな~なんて思いながらウキウキしながら。

 

しかし、期待とは裏腹に全く電話がならん。塾長に相談すると
「まだまだ撒く数がたりないからだということだったので、
1日300枚から500枚、多きときでは1000枚と増やした。

 

朝起2時に起きてポスティング、昼治療の合間もポスティング、夜診療が終わってポスティングと、ずっっっっっっとポスティングしていた。(このとき家族とはあまり顔を合わしていた記憶がない(汗))

 

ちなみに、一度下の子の夜泣きがひどくて、抱っこしたままポスティングにいったこともある(笑)いい思い出はいい思い出、、かな(笑)

 

ただ、めちゃくちゃやっているけど、
それでも電話は鳴らない。

 

またまた塾長に相談をしてみた。すると、
自転車のかごに入れてみたらと、病院の駐車場に止まっている
車のワイパーにチラシをはさんでみたらどうかと意見を頂いたのでやってみた。

 

ホント正直、クレームでもなんでもいいから
とにかく電話がなってほしいと思っていたので
やってみたらいいといわれたことはとにかくひたすらやってみた。

 

しかし、結果は酷いことにいっけんも鳴らない。

 

電話つながってないんちゃうかと思って
携帯からかけてみたこともあった。なる(笑)
何をしても鳴らないから、、、また塾長に相談するけどチラシを撒く数が足りないからだとアドバイスを、、、いやいや。やばいってとなっていた。
このときすでに夜目をつむっても寝れないぐらい精神的に追い込まれていた。

 

というのも実は、

 

塾の決まりである約束をしていたから。
塾に入って初回のとき6ヶ月後の目標を決める。
それが達成できなかったら超絶嫌なことをするという罰ゲームがあるということだった。

 

僕は、
目標は120万
罰ゲームは離婚するということだったのだった。

 

すでに
僕以外の方はどんどん目標達成していき
残りは一人になった。ここで僕が目標達成できなければ
はじめての人になる。絶対に嫌だ。でも全然チラシから電話ならへんし、、、どうしたらいいんだよ!って思っていた。それでもポスティングはやめれない。
やけくそになってめちゃくちゃポステイングしているとき、あることに気がついた。
そういえば、オレの地域って異常に美容院が多くないか?なんでこんなに多いんやろ

 

商圏の人口の密度を調べてみると、
自分らと同じような子育て世帯が多いことにきがっついた。
そして住んでいる地域は梅田から近い。
そしてそして待機児童が多い。保育園が多い。つまり治療院というものをもとめているよりも、美容という観点のほうが求められてるんじゃないか。特にダイエットというようなところはいけるんじゃないだろうかとでてきた。

 

予感は的中した。

 

目標達成と新たな問題噴出 もう死んでもいいかな… そして新たな出会い2


ほんと、
治療では、3,000枚、4000枚撒いても反応がなかったのに、
4000
枚撒いて1人来店するようになった。しかもダイエットは高額で
30
万の商品だった。来てもらうとセールスは強かったから売れていき、
きがつけば、120万も達成していった。

 

なんとか離婚を逃れて一件落着となった。
このとき、ホントにホントに一安心した。改めて自分の中で嫁の大きさと
嫁の大事さを痛感した(笑)

 

目標を達成し資金ができので、チラシを折込し、HPを作成した。もちろんダイエットの。
すると、半年後には200万売りあえげれるようになっていた。
飯も食える、欲しい物も変えるようにはなっていた。
息子に不自由はさせていかないでもよくなっていた。

 

だから、満足していた。では全然なかった。
この頃よく嫁から

 

「死んだ魚の眼になっているで」と言われていた

 

ホントそうだと思う。だって仕事してても
全然楽しくなかったのが本音。
そして、正直、もうやりきったから死んでもいいかなって思っていた。
(今考えると最悪の思考ですよ!当時の話です)

 

それぐらいやりきったというか、
燃え尽きたというか、。。

 

ただしごとが全く楽しくなかったんですね。
そんな時、また新たな出会いがありました。

 

それが、
同じ塾に通っていた5歳ぐらい年下の
経営者でした。
(現在も活躍されています。ここでは仮名でKさんとします)

 

Kさんはいつもキラキラしていていつも楽しそうでした。
そんな姿をみて一発で心惹かれた。

 

そして、近づいていき
仲良くなった()

 

こんな近づくところはうまいんだよな。
昔から仲良くなりたいと思った人には絶対になれたから。

 

ここで人生がまた大きく動き始めました

新しい仕事「セールスライター」という道が出来上がった時期

 


彼は治療院のコンサルをはじめることになった
まあ、最初は「へ~凄いやんか」って思っていたけど、だんだん
なんか手伝えることないからって思ってはいた。

 

この時僕も新しい仕事をみつけていた。

 

それがコピーラティングだった。

 

正直、僕はチラシを作って電話がなることが快感になっていて
来店してもらった時は力をいれていなかった。
もう仕事は終わっていたと思っていた。それぐらい集客することが好きで
CV
出すことがすきだと気がついてたのだった。

 

そして、今みたいにライターって言葉などが
ひろがってなく、いなかったので、めちゃくちゃいい市場をみつけた僕はセミナーを、
K
さんから「一緒にやらない?」と声をかけてもらえた。

 

集客とか、セミナーのこととかも
手伝ってもらえたら嬉しいしやってほしいんだよねって。

 

この時めちゃくちゃ嬉しかった。

 

そこから、
僕はライターとしてやりはじめた。

 

そして、以外なことにまあ簡単に
リストもとれりもした。当時2000円で取れていたらOKだったのが
僕が作ったライティングの文章では800円台でとれいたのだった。

 

そして、
あるセミナーをしたら5万円だったのにもかかわらず
40
名ほどきてくれた。

 

え!?こんな簡単なものなの!?って思ったけど
そう長くは続かなかった。

 

やはり、儲けれる市場には、
すぐに参加してくるライバルがいる。どんどんどんどんコンサルタントが増えていき
リストもとれなくなり、セミナーも売れなくなっていたった。
ここで僕が思ったのは、、、

 

自分が書いたレターが悪いからだ。ライティング精度が悪いからだと。だから、
うまくなりたい。なんとかうまくなって、Kさんに貢献したいと思った。
だからだから、
だからひたすら書きまくった。5万円で月に3枚セールスレターを書いたり、
ただひたすら毎日写経したり、ただひたすら1万円、2万円でセールスレターを書かせてもらったりしていた。

 

それでも、売れないと悩み続ける日々だった。
しんどかったし、どうしたら売れるんだろうと思ってもがきまくっていた。

 

比例して、貯金もなくなり、もうやばい状態までいっていた。
このままでは、終るんじゃないか。自分がと。

 

家族の支え 家族が僕を支えてくれた

 

お金が無くて年金が払えない。保険料も払えないのが3ヶ月続いた。
まじでこのときは終わったと思ったし、もう職を探そうと思った。現に、ポストに入っていた介護福祉施設の面接まで応募して行ったし。。。

 

見事落選したけど笑

 

それぐらい切羽詰まっていた。でもライティングはやめなかった。やめなかったというか、もう辞める選択はなかったな。売上がなくて苦しくても毎日写経をして、セールスレターは書いた。とにかく書いた。

 

そんな姿をみて、嫁は、、、一言の文句やぐちは言わなかった。むしろ、

 

「やりたいことやりなさいな」と応援してくれた。そして、嫁が正社員で働きにでてくれるようになった(この前まで院でダイエットメニューを販売していた。もともと一部上場企業の経理として働いてくれていたけど、僕のほうが忙しくなってやめて手伝ってくれるようになっったけど、1年半ほどでやめた。申し訳ないと今でも思ってる。嫁はやめれてよかったわ。だって給料安かったもん。ワハハハって行ってくれるけど(汗))

 

そして、そして、
息子も娘にも買ってやりたいものも買ってやれず、
欲しい物も買ってやれずただただ情けない親父だった。でも彼らも文句を一言もいわないで
むしろ、応援してくれていた。頑張れって。
それが父の日にもらった大きな垂れ幕でわかった。

 

「もっと登れ。どんどん登れ」という大きな垂れ幕だった。
さすがにあれは泣いたな。ホントありがたかった。

 

とはいえやばいことに越したことはない。だからなんとかしないといけないと思って
がむしゃらにしていた、、

 

そんなとき、またまたある出会いがあった。
第3の出会いが、、、

 


この出会いが本当のマーケティングとはなんぞや!?を教えてくれる
大きな財産になった。

売れない真実の理由が判明 マーケティング力の第二弾覚醒期へ


セールスライティングの世界では超有名な
ダイレクト出版でベストオプ〇〇賞をもらい表彰されたことがある
M
さんとの出会い。この出会いものKさんがつないでくれた。
(ほんと人に恵まれているなってここでも思う。。つくづく感謝)

 

Mさんは当時、Kさんがライティングとプロモーションを依頼していた。
僕もKさんと一緒にやっていたので関わらせてもらった。ここではじめて
ライターってこんな仕事もするのか、運用、運営ってこんなこともするのかって直に学ばせてもらった。そして、僕はMさんになんとかセミナーを開いてくれ!ライティングのセミナーをひらいて僕にノウハウを伝授してくれと頼んだ。

 


答えは「ノー」だった。
教えることってそんなないよ。だから無理だよっていわれた。
でもあきらめることはできないから、会うたびセミナー!開いて!って頼んだり、
それでも距離が空いていると思ったので、一緒に二人でご飯行こうって誘ってそこでも
セミナー開いてくれってたのんだ。
すうと、、

 


わかりました。やりましょう。でも3回ぐらいわけないとだめなんで
いいですか?と。。ねがったりかなったりだった。

 

僕はこのセミナーにでて、
ライターのイメージが一新した。そもそもライティングがうまいから売れるとずっと思っていたんだけど、実はそうではないことが判明した。

 


売れるのは、売れるリストがあって、オファーが強く、タイミングがピッタリ、そして最後にライティングがくるものだよと教えてもらったのだった。

 


マジなの?!って思った。でも、よく考えてみると、僕も治療からダイエットに切り替えた瞬間人が来るようになったし、セミナー販売したときも最初は売れていたけど、だんだん売れなくなってきた。つまり共通するのはリストということ。市場と顧客欲求が販売を左右しているからだ!!と気がついたのだった。

 


ここではっきりしたのが、商品中心思考になっていた。僕は商品が良ければ売れると思っていたけど、どんなにいい商品でも求めている市場と顧客がないと売れないと気がついた!

 


逆にいえば、商品はまあまあボチボチでも(もちろん優れてるにこしたことはない)市場の欲求が強くて顧客が喉から手が出る状態なら売れるんだって。だから大事なのは商品ではなく、顧客の目線なんだって気がついた瞬間。

 


商売にとって、マーケティングにとって、
めちゃくちゃ大事な肝を身につけた瞬間である出会いだった。

 


そして、さらにさらにびっくりするようなことがおこった。

 

マーケティング力覚醒ともに、年商1億円の協会のマーケティングを担当へ


「マーケやってくれない?」


売れるようになったら声をかけてもらった。それが、自分でもびっくりするような
年商1億円規模の協会ビジネスをしている方からだった。


最初は、セミナーのライティングのみの受注をしていた。ただちょっとセミナーの雲域が悪くなってきたので、新たな依頼をいただけた。それが協会のマーケティングをやってくれないか?ということだった。集客から、商品までの流れと、商品を作ってリストに出していくということ。広告を作成しリストをとっていくという、全体の事をやることだった


ここでも、全体の仕事を任されるようになったので
ビジネスの流れを把握することができた。リストを取る方法、リストから商品までつなげるようにする方法など、、、でも、一番身に付けれたのが


やはり売れないものは売れないというとこだった
人がほしいと思っていなものは売れないと。


当たり前からもしれない。でも売れないものをゴリゴリにセールスかけてもやはり売れない。

受け持ったはじめの1年間は、まだ商品自体に需要があり、正直、売れた。結果としては年間で240名ほど集客できて、2億近くまで伸ばせた感じだった。


調子にのって、次は5億いきます!って言ってた翌年、、コロナになり情勢は一気に変化していった。
ここで超絶思ったのが1つある。このプロフィールのところに書く必要はないけど、コロナで集客が困っているのなら、それを使って商品を売ればよかったと。だってコロナでも集客できていたから、それを商品にしていけばよかったやんか、、、ってつくづく思う。


不安と焦りが勝手に作られているなか、僕らの扱っている商品を使って集客できていた。ここを売ればよかったのに!!!!って今なら思うけど、当時はまだまだ未熟だった。売ることができずに終わった。正直敗因は個々にあると思う。もっと早くにしかけていたら、、、


実際に、コロナになったとき、コロナ対策セミナーってやったら100人ぐらいすぐに集まってきたもんねん。これが合図だったのに、、、あーもったいないことをした。今なら完璧にセミナーにして販売していくな。

とまあこのようにコロナをきに業績が急降下、集客ができなくなり、リストホルダーさんが「もうこの商品はやめた!販売中止!」といきなり宣言。


そこからがまたいちだん苦悩の日々が続いた。
何をやっても入らない()集客できない。人が動かないと思っていたから、、、(実際はチャンスだったけど)で、取った作画、、、


既存の強化という戦法に切り替えた。ありがたいことに協会には100名以上のクライアントさんたいたので、そこをもっと強化していく、つまり売上をあげていけるようにしていけば、
利益は残ると踏んだのでした。


結果は、利益率は伸びた。 協会ビジネスなのでリストをとらなくなることはできない。だから広告費は減らせれない。だから広告費は同じぐらい使っていたけど、既存からの収益が膨らんだからだった。


ただし、、やっぱりリストからセミナーに誘導するのはやらないと、このままではビジネス的にしんどくなる。だからテコ入れしていかないといけないと焦っていた。


ただ、どうしたら売れなくなった商品が売れるようになるのか?って悩みに悩んでいたとき、
コンテンツホルダーさんから、そういえば今日新幹線である人に合ったんだよ。
コンサル受けようと思うんだけど、一緒に受けれてくれない!?と誘われた。

ここでも出会いが、また運命が動き出した。

最強のマーケターとの出会い マーケティングの別視点を吸収 ビジネス設計 ポジションニング設計


めちゃくちゃ緊張する。


というのも5年以上ファンだった人に会うから。
この方は、昔からダイレクト出版で業務委託をされていた方。動画をみたりもしていたし、
正直、憧れの存在だった。


そんな人と喋れるし、コンサルタントを受けれるなんて
夢にも思っていなかった。


まさか、1年半年も関わらせて頂けるなんて思ってもいなかった。
(あ、今でもお付き合いをさせていただいている)

この方からの学びは、、、やはり、ポジショニングとビジネス設計。
スペシャリストで年商100億近くの大手企業さんからダイレクト出版さんのような尖っているが年商100億規模の会社とビジネスを行われている。

どんどん新しい、ポジションをみつけてもらい
商品を投入していくと、販売がスムーズになっていき、あれだけ集客にくろしていたけど、
集まるようになってきた。


昔は無料で行っていたセミナーでも、単価を1万にしてやってみると、40名集まるようにもなった。そして翌月もやると30名、よくよく付きも30名と順調に滑り出した

問題の一番やりたかった無料の商品の復活も手助けをしていただけた。
文言と訴求、ターゲットの切り込みをを変えて、再販売してみると
30
名以上の方がきてくれるようになった。正直に市場の活性化で昔みたいには集まることはできないようになっているが、昔よりも質がいい人を集めれるようになっていたので
離脱率が半分以下になっているのがわかった。


昔は、、、ほんと離脱していたけど、今回はほぼなし。ということもできるようになった
ポジショニングとビジネスの設計ここは本当にやらないといけないみにつけれてよかった

とまあ
軌道に乗ってきたところで、もっと攻めようとしたとき、、、
急にコンテンツホルダーさんから契約は延長なしと連絡を受けた。


マジで!?

 

 

ビジネスをたちあげる

 

契約をしてもらっている状態。そして付き合う会社を一社にするということは
いきなり契約がなくなると、仕事がなくなるんだって初めてしった。


ただ、これってめちゃくちゃチャンスで、また羽ばたけると思った。
だから、違う形で契約をしてほしいと言っていただけたけど、申し訳なかったけど、
お断りをさせて頂き、自分でちゃんとビジネスを作る。


僕が必要としてくれる人と、僕ができることをつなげて
飛躍してもらうようにしていくことをやっていきたいと思っています。

正直、夢はコカ・コーラのようなスポンサーになって、子どもたちを支援できるぐらいの規模の会社を作ること。


ベネッセのような、教師側も受ける側も、会社も利益がでる三方良しの会社をつくること。


なにより、僕を起点として、飛躍してもらうようにできる会社にしていく。
それを作るためにも、一から自分でビジネスを作っていくとをにしました。それがこの会社です。そして僕のやりたいことですし、やっていくことです。


あなたを僕が
飛躍さえてください!

 

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